柔道部最悪の日
Text by Mampepper
後編

ほんの数秒の間に、完全な形での送り襟絞めが極まろうとしていた。
「ああ・・・・頑張れ・・・先輩・・・」
控えの後輩たちはもう、ある意味残酷ともいえるこんな声援しか発することができなかっ
た。絞め技が完全に極まれば、ヒロキにはギブアップするか、失神するか。その二つに一
つしかないのである。
もうギャラリーも何も言わなかった。たとえ素人であっても戦慄を覚えるほどの、みゆき
の早業だったのだ。

ぐううう・・・・うぐぐぐぅぅ。・・・・
苦しい。女に・・・女に絞められるなんて・・・。
息ができないことの苦痛と、女の子に絞められているということへの耐えがたい屈辱感。
「ヒロキ・・・参ったは・・・参ったははっきりしろよ」
顧問先生が思わず口走る。
「・・・・まだ・・・まだっ・・・ス・・・」
歯を食いしばった苦しい息の下から、ヒロキは必死に応答した。
(・・・この子・・・まだ頑張るの?・・・・)
みゆきはヒロキの根性に、素直に感動していた。もう誰がどうみても勝負はついているの
に、この子だけは自分の負けを頑として認めようとしない。もしかして、このまま落ちて
もいいっていうの?

このまま負けるなんて・・・イ・・・イヤだ・・・・。負けたくねー・・・
こんな女に・・・・負けたくねー・・・・。
ぼんやりとしてきた意識の中で、ヒロキは必死に繰り返していた。その言葉は「勝つ」か
ら「負けたくない」に変わってはいたが。
「くっそ〜・・・くっそ〜・・・・この・・・クソおんなぁ・・・・」
うめくような、そんなヒロキの声が聞こえても、もうみゆきは腹を立てなかった。むしろ
そんなヒロキに可愛らしささえ感じていた。
負けたくねー・・・負けたくねー・・・・
ヒロキは必死に足を伸ばした。ずっ、ずっ、と、ほんのわずかではあるが、二人の体が場
外の方向へ向けて動いた。足先が少しだけ、場外際のレッドゾーンにかかる。
も・・・もう・・・すこし・・・・。
ヒロキは全身の余力を足指に集めると、まるで場外を手繰り寄せるようにピクピクと動か
した。場外に逃げるなど本来男のやるべきことではないかもしれないが、もはやそれだけ
がこの絶望的な状況に残された唯一の、負けないための手段だったのである。
ヒロキは薄れてゆく意識の中で、必死に自分の足元を見た。
も・・・もう・・・ちょっと・・・
女に・・・女なんかに・・・白帯の女なんかに・・・
負けて・・・負けて・・・たまるかよ・・・。
もうヒロキの顔に苦痛の色はなかった。口をぱくぱくさせ、まるで眠るような穏やかな表
情になっていた。

(この子・・・やっぱり・・・かわいい・・・)
みゆきはもう試合などどうでもよくなっていた。ヒロキの頑張りをみていると、このまま
時間切れになってもいいとさえ思った。たとえそうなったとしても、S中の完勝であるこ
とには変わりがないのだ。これ以上ヒロキを苦しめて、屈辱を味あわせる必要もないだろ
う。
(いいじゃない、それで)

その時、それまでただ無表情に試合を見守っていたS中の女コーチが、静かに口を開いた。
「みゆき、情けをかけたりするんじゃないよ!」
みゆきはハッとしてコーチを見やった。その言葉には、修羅場をくぐった武道家だけが持
つ冷厳さと、凛々しさが溢れていた。
「・・・・ハイ」
みゆきは小さくうなづくと、絞め技をかけたまま体をぐいっと回転させた。
あ・・・あ・・・
ヒロキに残された最後の希望の糸は、呆気なく彼の手からすり抜けてしまった。
二人の体が試合場の中央まで戻される。そのままみゆきは全体重を乗せて、うつぶせにな
ったヒロキの肺を圧迫した。
あ・・・息が・・・息ができない・・・
あ・・・あ・・・ああ・・・・
汗をたっぷりと吸った青畳の匂いがつんと鼻をつき、ちんちんが畳にこすりつけられて、
再びムクムクと大きくなっていった。
女に首絞められて・・・ちんちん立っちゃうなんて・・・恥ずかしい・・・
でも・・・気持ちいいっ・・・・。
それでもまだ、ヒロキは自分の敗北を認めようとはせず、必死に立ち上がろうとあがいた。
「・・・・ごめんなさい。悪く思わないで」
耳元で女の子の声がする。
なに?何・・・いってんの?

みゆきはそっと囁くと、左手だけをヒロキの首から離し、すばやく脇の下からすくい上げ
ると、そのまま後頭部に回してぐいっと押しつけた。
ヒロキの頭の中に、ごりっ、という鈍い音が響く。
「が・・・・はぁっ・・・・・」
片羽絞め。
数ある絞め技の中でももっとも実戦的で、強烈といわれる技である。
みゆきはまるで相手の冥福を祈るように、静かに眼を閉じると、その体勢のままぐいんと
背筋を伸ばし、丁度プロレスのキャメルクラッチのような要領で、ヒロキの上半身を全力
で引き上げた。

「ぐ・・・・えっ・・・・えっ・・・・」
ヒロキの口から断末魔の声がこぼれる。
くっ・・・・まだ・・・まだ・・・だ・・・
おんな・・・なんか・・・に・・・
ま・・・まけ・・・まけ・・・たく・・・・
ああ・・・・
でも・・・お・・・おなにいより・・・きもちいい・・・・。
どこ?・・・ここ。

今までの苦痛がまるで嘘のようだった。
ヒロキの体はまるで電気に打たれたように硬直し、両足はふわっと青畳から浮き上って、
空中をバタバタと蹴った。
涙と鼻水とよだれがダラダラと流れだし、全身がぷるるるっと痙攣する。
そして最後の抵抗を続けていた右手が力を失い、だらんと垂れ下がっていった。
「・・・・落ちた・・・・・」
最後にヒロキの口から泡のかたまりが吹きこぼされると、顧問先生は無念の表情で「一本」
を宣告した。
みゆきが絞めをはずすと、ヒロキの上半身が、よだれの糸をひきながら、まるでスローモ
ーションのように顔面から落下していく。
どしゃっ・・・・。
まるで深い海の中に、ザブンと沈んでいくような感触。
鈍い音とともに、かすかにバウンドした体が再び畳の上に沈んで、ヒロキは完全に気を失
ってしまった。

そうなって初めて、ヒロキは絞め技の苦痛から解放された。
まるで昇天して天国に遊んでいるようだった。
試合時間、57秒。死力をしぼりつくして戦ったヒロキではあったが、結果的には1分の
壁を破ることさえできず、片羽絞めによる完膚なきまでの惨敗であった。結局M中柔道部
は、白帯の女の子ひとりにすべて一本による五人抜きを許してしまったのである。
部員たちのすすり泣きが道場に響く中、ゆっくりと立ち上がったみゆきは、まるで慈しむ
ような、優しい目つきでヒロキを見下ろした。
うつぶせのまま顔を畳に押し付けるようにして失神したその姿は、まるでみゆきにひれ伏
しているように見えた。ただ時折、お尻だけが物欲しげに突き上げられ、ピクンピクンと
かすかな痙攣を起こしていた。

顧問先生が慌ててヒロキをあおむけにする。
ヒロキの全身からは力が完全に抜け、まるで人形のようにごろりと転がった。口はぽか〜
んと大きく開けられ、よだれと鼻水とで端正な顔はぐしゃぐしゃに汚れていた。虚ろに見
開かれた瞳はトロ〜ンとして焦点を結んでいない。その喜悦の表情からは、ほんの数秒前
まで必死に耐えていた根性も闘魂も、まったく感じることができなかった。そして柔道衣
の襟の部分は、絞められていた状態のまま、まるで蛇のように首筋にからみついていた。
その惨めな姿は、男の意地とプライドを賭けた試合の報酬としてはあまりにも過酷なもの
だった。
顧問先生も長年柔道の指導をしてきたが、ここまで完璧に意識を吹っ飛ばされた例はみた
ことがなかった。しかも、男が女に・・・・。
先生の眼からも一筋、無念の涙がこぼれた。はじめから実力差は意識していたが、これほ
ど一方的な勝負になるとも予想していなかったのだ。
ふと下の方に目をやると、ヒロキの股間がぐっしょりと濡れているのが見えた。
失禁か?・・・・
先生がそっと触ると、それは尿ではなかった。勃起したちんちんから放出されたザーメン
が、ヒロキの股間をじんわりと濡らしていたのだ。彼は断末魔の苦痛と快感とで、射精し
てしまっていたのである。そしてこの股間の膨らみだけが、わずかにヒロキの生命力が残
っていることを示していた。

顧問先生はヒロキのみぞおちに手を当てると、ぐいぐいと押した。
通常なら絞め落とされたとしても、活を入れればすぐに蘇生する。
しかしヒロキはピクリとも動かなかった。活入れたびにのびゅくっ、びゅくっと痙攣する
のは、物欲しげに勃起し精液をしたたらせたちんちんだけだった。それは道衣ごしでもは
っきりと認められ、ギャラリーの嘲笑を誘った。
「見ろよ、あいつイッちゃってるぜ」
「すげえ〜、気持ちよさそー」

焦った先生は、いろいろな体位で懸命に活を入れようとしたが、それはヒロキにさらし者
の惨めさを与えただけだった。大きくしまりなく開いた口からはただよだれがダラダラと
流れ続けるだけで、意識はまったく回復しなかったのだ。
「いかん・・・担架だ!」
先生の指示で、1年生部員が泣きながら担架を運んでくる。
「そっと・・・そっと乗せて、医務室へ運ぶんだ」
ヒロキのものいわぬ体が担架に乗せられようとした時、それまで開始線に座って黙想して
いたみゆきが口を開いた。
「・・・すみません。ちょっといいですか」
みゆきは再びヒロキを畳の上に寝かせると、その胸に両手を当て、ヒロキの小さな体の上
で腕立て伏せでもするように、ぐいんっ、と全体重をかけた。
「んぅっつ・・・・・」
低いうめき声とともに、ヒロキの口から再び泡のかたまりが吹き出し、ちんちんがひとき
わ激しく、ぴくんっと痙攣する。さらにみゆきはヒロキの上半身を包み込むようにして、
そっと抱き起こした。
ど・・・こ・・・?ここ・・・・。
なンだよ・・・気持ちいいのに・・・なんで起こすんだよぉ・・・・
俺・・・どうしたの・・・?
朦朧とした形ではあったが、ゆっくりとヒロキの意識が戻ってきた。
輪郭のぼやけた、みゆきの顔が視界に入ってくる。その優しそうな表情・・・。
だれ・・・めがみ・・・さま?・・・・・?
ヒロキは本気でそう思った。

まだ夢見心地からさめないところに、聴覚だけが戻ってくる。
「おーい、大丈夫か?」
ギャラリーから声がする。
とどめの片羽絞めが極まった一瞬から、後のことはまったく憶えていなかった。
そ・・・そうだ。俺、試合してるんだ。
あれ・・・口元がぐしょぐしょ・・・きたねー・・・なんで?
ヒロキは本能的にさっと立ち上がって身構えた。
「終わりだ、終わり」
顧問先生が大きく手を振った。
え・・・?
試合、終わってるんだ・・・?
いつ・・・?どうなったの・・・?
緊張の糸がプツリと切れる。と同時に・・・全身が・・・痛くて・・・
ヒロキはそのままがっくりと膝をつき、ゼイゼイと荒い息をついた。
まるで・・・まるで全身が・・・バラバラになってるみたい・・・
べっとり濡れた股間が・・・気持ち悪い・・・・
両方の足がもつれ、一人で立つことができないヒロキに、後輩部員が肩を貸す。ようやく
のことでヒロキが開始線まで戻ると、改めて先生はみゆきの一本勝ちを宣告した。

そうか。
俺、負けたんだ。
こんな白帯の女に、みんなが見ている前で落とされて、射精させられて・・・。
一人で立つこともできずに、後輩に担がれて・・・。
みじめ・・・ああ・・・みっともねー・・・・
ヒロキは肩を震わせながら、しゃくり上げるような泣き声をあげた。

後でヒロキたちは知った。
みゆきは子供の頃から素質を嘱望され、特に寝技に関してはたいへんなエキスパートであ
ることを。あの女コーチはみゆきの専任で、S中ははじめからM中など眼中になく、この
試合はいわばみゆきのテストのためだけに成立していたということを。そして最初の4人
まで、敢えて得意の寝技を封印していたのも、最初からコーチがそう指示していたのだと
いうことを・・・。

ヒロキは道場の隅に、がっくりと肩を落として座りながら、試合場が片付けられていく様
子を眺めていた。まだ混乱した頭の中で、屈辱に満ちた記憶が渦巻いてくる。
道衣の股間はまだぐっしょりと濡れたままだった。
早々と制服に着替えたS中の選手たちが、挨拶にきていた。
「いえ、こちらこそ・・・いい勉強になりました」
顧問先生が複雑な表情で応対している。
あれ・・・?
みゆきが満面の笑みを浮かべながら近づいてくる。そこには、さっきまでの厳しい武道家
としての表情はなかった。
ヒロキの目の前に手が差し出しされる。
あくしゅ? なんで・・・?
「今日はどうもありがとう。また今度、試合しようね」
なんだ、こいつ。
人をさんざんいたぶって、気絶までさせといて・・・。
惨めさと悔しさがこみ上げてきて、ヒロキの眼に再び涙があふれてきた。
俺は女に落とされて、そのうえこんな情けまでかけられて・・・。
「ね?」
躊躇しているヒロキの前に、もう一度みゆきが手を差し出した。
・・・ちくしょう。
「いい気になんなよ・・・今度やったら負けねーからな!」
一瞬、握手に応えようとした自分の手をぎゅっと握りしめながら、ヒロキは自分でも意外
なくらいの大声で叫んでいた。
え・・・?
みゆきの表情がさっと曇り、その眼から大きな涙が一筋だけこぼれ落ちる。

なんで・・・?なんでお前が泣くの?
女に負けて、さらし者にされて・・・大声で泣きわめきたいのは俺の方なのに。
これじゃあ俺が女の子を泣かしてるみたいじゃないか。
「ごめんなさい。でも凄かったよ、キミ」
みゆきはそれだけ言うと、チームメイトと一緒に姿を消していった。

あの手はなんだったんだろう。あの涙は・・・?
それに、凄かったって・・・俺が?

まだ、何かもやもやしたものを感じながらも、ヒロキはぼんやりと座ったまま、鼻腔の中
に残ったみゆきの香りを思い出していた。

(終)


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GIRL BEATS BOY
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