見合い

Text by マッキー
 

「偲、お見合いしてみない?」
「うーん、そうだなあ……」
「なにもったいぶってんのよ、どうせつきあってる人いないんでしょ」
 確かにそうだけど、何も母親がこんな身も蓋もない言い方しなくたっていいじゃないかと思い
ながら、「うん」と僕は答えた。
「もうあんたも三十なんだから、そろそろ身を固めてもいいんじゃない」
「………」
 テレビなので彼女いない暦何年などと言うがそういう言い方をすれば、僕、榛木沢偲(はんの
きざわ しのぶ)は彼女いない暦三十年だった。
「あんた、大原さんて知ってるでしょ。彼女から話があったのよ。教え子ですって」
 大原さんというのは母の高校の同級生で私立の女子中学校の校長をしているひとだった。当然
僕の記憶にはないが、母から僕の赤ん坊のとき抱いてくれたことがあると聞いていた。
「そう」
「明日、吉村さんのとこで写真を撮ってもらいなさい」
「明日は休みだよ」
「だいじょうぶ、瑠美ちゃんやってくれるって」
 吉村写真館はすぐ近所にあって、吉村瑠美は僕の小学校の同級生だった。彼女は写真家を目指
して、大学の写真科に入学したが、父親が亡くなったことなどから家を継いでいた。
『お見合いしてみないなんて言いながら、全部お膳立ては整っているんじゃないか。写真を撮る
のはしかたないとして、吉村さんのとこはなあ』と思ったが母が言い出したらとても逆らえない
ので、「わかった」と言うしかなかった。
 
「偲くんにもやっと春が巡ってきたかな」
 写真を撮り終えると瑠美さんが冷やかすように言った。
「まだわかんないよ」
「そうだよね、断られるかもしれないもんね」
「僕が断るかもとは思わないの」
「お!言うじゃない」
 瑠美さんはニヤニヤ笑って言った。
「夕食後に届けてあげる」
「悪いから僕がとりに来るよ」
「いいの亜紀さんと話もしたいから」
 亜紀さんというのは僕の母のことで亜紀子の愛称で僕もそう呼んでいる。
「せっかくの休みの日をつぶしちゃってごめんね」
「気にしなくていいよ。偲とあたしの仲じゃない」
「ほらそんなこと言うから、勝広君怒ってるじゃない」
 勝弘君というのは瑠美さんの婿さんで今日は彼女の助手を務めていた。その彼が僕をにらみつ
けていた。
「偲とあたしは幼馴染じゃない。やきもち焼くんじゃないの、バカ」
 瑠美さんに叱られた勝広君はしゅんとなった。彼は瑠美さんの高校の一学年下の後輩で、瑠美
さんにあこがれて同じ写真部に入って、高校卒業後は吉村写真館に勤めた。どこが気にいられた
のか知らないが二年ほど前瑠美さんの婿さんになった。
「勝弘、コーヒー入れて」
 はいと言って、勝弘君はスタジオを出ていった。
 
 吉村写真館から家に帰ると母が、「釣書きを書いておいてね」と言った。
「あ、買ってこなくちゃ」
「偲の部屋においてあるよ」
 用意周到なことでと言いながら部屋に向かうと、
「身長のところは161cmと書いておきなさい」と母は言った。
「そんな嘘書いていいの?」
「いいのよ」
「でも2センチくらいならともかく、4センチってのはどうだろう、ばれないかなあ」
「背を高く見せる靴があるでしょう、シークレット・シューズって言うの? ごまかせるわよ」
「そんな靴持ってないよ。それに亜紀さんいつも言ってるじゃない、小柄だって卑屈になるな、
堂々としていろって」
「好きになれば気にならないけど第一印象は大事よ。うそも方便て言うでしょう。靴くらい買い
なさいよ」
「はい、わかりました」
「それと偲、体重はどれくらい?」
「42kgだけど」
「えー、そんなしかないの。私より8キロも少ないじゃない」
「何言ってるの、いつも体重計に乗って、『ああ、あと2キロがどうして下がらないんだ。目標
50キロ』なんて叫んでいるじゃない」
 母は52kgといっても太っているわけではない。母の身長は僕と同じ157cmで、定期的に
近くの小学校のプールで泳いでいるので引き締まっている。
「盗み聞きしないでよ、いやな子ね」
「あんな大きな声で叫んでいるくせに……」
 僕は小声でつぶやいた。
「体重は48キロくらいに書いておきなさいね」
 母は僕のつぶやきを無視して言った。
「はい、はい」
 
 夕食後テレビでニュースを見ていると、ドアのチャイムが鳴って、瑠美さんの大きな声が聞こ
えてきた。
「こんばんわ、吉村写真館です。お見合い写真お届けにあがりました」
 僕は大慌てでドアを開けにいった。
「そんな大きな声で言わないでよ、この階全部に聞こえそうだよ」
 瑠美さんは僕の抗議など無視して横をすり抜けてさっさと居間のほうへ行ってしまった。瑠美
さんは母と仲がよく、しょっちゅう行き来しているので遠慮がなかった。僕が後ろからついてゆ
くと瑠美さんは、「はい、よく撮れているわよ」と言いながら、母に差し出した。
 僕が瑠美さんに続いて座卓の前に座ると、瑠美さんが僕に言った。
「弟みたいな偲にやっと浮いた話が持ち上がったかと思うとうれしくて、宣伝したくなっちゃう
わよ」
「それにしたって、恥ずかしいよ… それになんだよ弟って、僕のほうが十ヶ月も年上じゃない
か」
「生まれたのが少しくらい早いからって関係ないわよ。悪がきにいじめられてピーピー泣いてい
た君を助けたのは誰よ」
 そういわれると一言も言い返すことができなかった。身長が130cmほどしかなく、しかも
やせっぽっちだった僕はしょっちゅう男女をとわず泣かされていた。小学6年生のとき今と同じ
162cmだった瑠美さんは際立って大きかったわけではないが、運動能力に優れ、頭がよく、
その上美少女の彼女に逆らえる生徒はいなかった。僕は何度も助けられたことがあった。
「瑠美さん」
 僕は小さな声で答えた。
「勉強教えたのはどっち?」
 いつもそうだったが、特に高校を受験するときには、同学年で彼女自身も受験勉強をしなけれ
ばならないのに僕の勉強の手助けをしてくれた。そのおかげで僕は志望校に入学できたが。僕の
ために時間をとられたにもかかわらず、瑠美さんはより難しい志望校に悠々と合格した。
「瑠美さん」
「普通そういうことは上の人がやることでしょ。だからそれをやったあたしがお姉さん。わかっ
た?」
 僕は小学生のときから恋心を抱いていたのだが、瑠美さんのほうは僕を弟分としてしか見てく
れなかった。小学校時代で身長の伸びが止まって差が縮まったとはいえまだ少し大きい瑠美さん
に対する肉体的な劣等感、その上頭脳でも到底かなわないという思いが、僕の瑠美さんに対する
思いをぶつけることを妨げた。そして秘めた恋は瑠美さんが勝弘君を婿に迎えいれたときに終わ
った。
「……」
 これまで黙って写真を見ていた母が言った。
「瑠美ちゃんがいなかったら、偲、登校拒否児童になっていたわよね」
 母は瑠美さんが言うことに腹を立てなかった。僕が瑠美さんにやり込められるのは毎度のこと
だし、母も瑠美さんのほうを姉としてみているようだった。
「偲かわいく撮れているじゃない」
 母は写真のほうに目を移して言った。
「かわいいって、三十過ぎの男に言うことじゃないでしょう」と僕が言うと、
「ほんと、亜紀さんの言うとおり」と瑠美さん。
「瑠美ちゃんお代はいくら?」
「弟からお金は取れないわ。お祝いにしておきます」
「休みをつぶした上にそれまで、悪いわね。勝弘さんにもよろしく言っておいて」
「はい、勝弘はあたしが1日家にいたので喜んでるわ」
「そういえば瑠美ちゃん、休みの日に家にいることが少ないんですってね。勝弘さんが嘆いてい
たわよ」
「あたし都内の古い建物をとるのが好きでしょう。朝から暗くなるまであっちこっち歩き回りた
いのに、勝弘はせいぜい昼ぐらいまででダウンしちゃうから連れて歩けないのよ。男のくせに体
力無いんだから。でも平日は一緒にいるんだからいいじゃないねえ」
 僕は瑠美さんのほうが強すぎるんだよと思ったが口には出さなかった。
「いつも瑠美ちゃんといたいのよ」
「子供みたいでしょうがないの」
「でもお店のことはよくやっているじゃない」
「そうね」
「ねえ、瑠美ちゃん、お酒飲もうか?」
「いいわねえ」
「なんにしようか、食事は済ませたの?」
「ええ」
「ワインにする」
「いいですねえ」
 母がキッチンに立ったので僕は自分の部屋に引き上げようと思って、瑠美さんに礼を言って立
ち上がろうとした。
「ちょっと待ちなさいよ。あなたのお祝いじゃない。一杯ぐらい付き合いなさい」
 瑠美さんが引き止めた。
「僕のお祝いって、何も無くても飲んでるじゃない」
「そうね。でも一杯だけでもつきあいなさいよ」
 仕方なく僕は座りなおした。
 
 目がさめて時計を見ると2時だった。夕べあれからどうしたんだろうと思いながら、用を足し
てまた寝てしまった。
 朝食を食べながら「亜紀さん。僕、ベッドに入った記憶無いんだけど……どうなっちゃたの」
と僕は訊いた。
「あんたワイン一杯飲んだだけで、コテンとひっくり返って寝ちゃったのよ」
「あ、思い出した。瑠美さんに『ブランデーでも飲んでるみたいね』なんて冷やかされたんだ」
「そうよ。その後残りを一口であけちゃって、さっきいったみたいになったわけ」
「だけどその後は?」
「わたしたちが飲み終わってもまだ目を覚まさなかったので、瑠美ちゃんが帰り際にベッドまで
運んでくれたのよ」
「わあ、恥ずかしい」
 そういえばいつもはもっと時間をかけて飲むのに瑠美さんの一言でつい早く飲んでしまった
のだった。母は酒豪なのだが父はまったく飲めず、僕もこの有様だった。
「起こしてくれればよかったのに」
「なに言ってるの何度も肩をゆすったのよ。でも目を覚まさないから瑠美ちゃんがあたしが運び
ますって。瑠美ちゃん力あるわねえ。私とどっちが強いと思う」
「そういうことを問題にしてるんじゃないでしょう」と僕が言うのに、
「今度きたとき腕相撲やってみよう」
 僕は母の言葉を無視していった。
「だけど僕パジャマに着替えていたよ。まさか……」
「そう、瑠美ちゃんよ」
「またひとつ弱みを握られちゃったなあ」
「いまさらひとつふたつ増えたって同じでしょ。どうせ頭が上がんないんだから」
 僕はどっちの親だよとつぶやいて食事をすすめた。
 
 翌々日、僕が夕食のあとかたづけを終えると母が僕を居間によんだ。今日は出張から帰った父
もいた。
「大原さんからお相手の方の写真、お預かりして来ましたよ」
 僕は期待と不安でどきどきしているのに、平静を装って、「そう」とだけ答えた。
「きれいな人よ」といいながら写真を母が写真をさしだした。
 確かに写真に写っている女性は、きれいというよりハンサムといったほうが適切なのではとい
うような人だった。髪はすそを刈り上げた短髪だし、色はお世辞にも白いとはいえなかった。ま
だ4月のはじめというのに、こんなに黒いのは日焼けサロンで焼いているのか、それとも元々な
のかと僕は考えながら釣書きのほうに目を移した。
 山野遙、28歳、アメリカの高校を卒業、日本の大学の工学部を出て、音響映像機器のトップ
メーカーに勤務とあった。
「身長は160cm、3センチくらいの違いは問題なしと。体重50kg、これもわたしと同じ
だから」
 ここで僕は口をはさんだ。
「亜紀さんは52kg」
「うるさいわね、いちいち。まあいいわ。私より軽いんだから問題なしね」
「……」
 趣味の欄にはダイビング、釣りと書いてあって、色の黒いわけは納得した。
 母は父に向かって言った。
「洋平、どう思う? いいお嬢さんでしょ」
 父は母の言いなりだから、うんと言っただけだった。
「それじゃ偲、大原さんに承諾の返事をするけどいいわね」
 写真や釣書きを見る限り良すぎるほどの話だからお願いしますといった。
 母は浮かれているけど僕は断られてもあまりがっかりしないように期待しないでおこうと考
えていた。
 ところが翌日、夕食後に大原さんから電話がかかってきて、山野さんも承諾したということだ
った。場所と日時は先方の提案を了承して決まった。
 見合いをすることが正式に決まっても、『僕でいいのか?』『なぜあれほどの人が僕なんかとの
見合いを承知したのか?』という疑念が僕の頭から離れなかったが、会った後で断られるだろう
と言う結論に達した。
 
 お見合いの日は朝からそわそわとして落ち着かず、時計ばかりを見ているので母に時計を見た
って時間は進まないわよと笑われた。この日までの四日間、振られるだろうと覚悟を決めたのに、
山野遙さんの写真を何度も取り出し、この人が僕の奥さんになってくれたらなんと幸せなんだろ
うなどと思ってはうきうきし、とてもだめだろうと思ってはしょんぼりしを繰り返していた。僕
はまだ彼女に会ってもいないのに、恋をしていた。
 ようやく時間になり、和服姿の母と家を出た。いつも母はハイヒールを履いているので僕は少
し見上げるように話しかけるのに、今日は僕が高い靴を履き、母がぞうりを履いているので僕の
ほうが少し見下ろすようにしなければならず、どうも変な感じだった。
 母に着物を着るの珍しいね、と言うと、このほうが僕が高く見えるでしょと言った。
 僕がせかせたおかげで、約束したホテルには三十分も早くついてしまった。ロビーのソファに
座って待つあいだ僕は出入り口のほうが気になって、母の問いかけにトンチンカンなことを言っ
ては、母に笑われた。
 にぎわうホテルの出入り口に目だって大柄な中年の女性と小柄な若い女性が入ってきたとき、
母が軽く手を上げて、みえたわよといいながら立ち上がった。
 僕は母に大原さんは学年で一番大きかったとは聞かされてはいたがこれほどとは思わなかっ
た。周りから頭ひとつ飛び出たといった感じだった。また肩幅が広く、ピンストライプのスーツ
の胸は大きく盛り上がり、その割には細いウェストからヒップが大きく広がっていた。その横に
並んだ黒のパンツ・スーツを着た山野さんはスリムで、写真で見た以上に美しかった。
「なにをしてるの早くいらっしゃい」
 僕は大原さんの圧倒的な大きさと、写真で見るよりやさしそうで美しい山野さんに見とれて、
座ったままだった。母の声で僕はあわてて立ち上がって母のあとを追った。
 チラッと山野さんに目を向けると、くすっと笑っていた。はじめから不恰好なところを見られ
たと思うと、顔に血が上り顔を上げられらなくなった。
 山野さんの落ち着いたアルトの「山野遙です」と言う挨拶に対して、僕は「は、は、ははは、
はんのきざわしのぶです」と裏返った声で答えて、母に落ち着きなさいと叱られた。
 それではお茶でも飲みましょうと言って大原さんと母が先立って歩き出した。僕も山野さんと
並んで歩き出したが、履きなれない靴のせいと心の動揺のせいとで足がもつれて転びそうになっ
てしまった。転びそうになった僕のひじを山野さんがつかんでくれたおかげで、僕は転倒をまぬ
かれた。
「大丈夫?」とやさしく山野さんは言ってくれた。
「ははは、はい」
 僕はまたまた、顔を真っ赤にして答えた。
 ティールームに入って席についても、僕は恥ずかしくて顔も上げられず、向かい合わせに座っ
た山野さんの顔を見ることができなかった。話をするのはほかの三人で、僕は時折質問されたこ
とに、はい、とかいいえと短く答えるだけだった。
 しばらくすると大原さんが「あら、私たちがいたんじゃ二人でお話できないわね」といって母
を促して立ち上がった。
 二人きりで残されてしまうと、せっかく収まっていた動悸が激しくなって、どう話しかけてよ
いのかわからずあせっていると、山野さんが話を切り出してくれた。
「榛木沢さん、ちょっと言いにくいわね、あ、ごめんなさい。偲さんと呼んでいいかしら?」
「はい」
「あたしのことは遙と呼んでね」
「はい、わかりました」
「偲さん、趣味が音楽とかいてあったけど、演奏するほう? それとも聴くほう?」
「あ、聴くだけです」
「どんなものが好みなの?」
「モーツァルトとバッハです」
 僕の気持ちもやっと少し落ち着いてきて、少し遙さんの顔を見ることができるようになってき
た。
「あたしの好みと似ているわ。あたしはピアノやチェンバロの曲が好きなの、あなたは?」
「僕は声楽や、オペラ以外は好きです」
 遙さんが僕の好きなものを好きだと言ってくれてうきうきしてきた。
「あたしはジャズも好きなんだけど、偲さんほかにはある?」
「ギターの曲も好きです」
「楽器弾かないの? あたしはピアノを弾くんだけど」
「ギターを練習したことはあるんですけど、僕手が小さいし、特に小指が普通の人よりうんと短
いからコードを抑えられないんです」
「手を出してみて」
 僕が左手を出すと、遙さんは左手で僕の手首を握り右の手のひらと僕の手のひらを合わせて、
大きさを比べた。
「本当に小さいのねえ。ウクレレ向きね」と言って、にこっと笑った。
 僕には遙さんのウクレレ向きねと言う言葉が、冷やかしなのか、慰めなのか判断ができなかっ
た。
 遙さんの指先は関節一つ分はたっぷりと出ていて、飛び出た指先を曲げたり伸ばしたりしてい
た。特に彼女の小指は薬指とそれほど差がなく、僕の小指の倍はありそうだった。父が好きなの
でよく聴かされた、《禁じられた遊び》を弾こうとしたとき、指の長さが足りずあきらめたのを
思い出し、彼女だったら余裕綽々で弾けそうだなと思った。
 遙さんは手をもとに戻すと言った。
「偲さん、得意なスポーツは?」
「得意なっていうものはないです」
 これは大いに控えめな表現で、全然だめなのだった。
 ここで遙さんは腕時計をチラッと見て言った。
「ごめんなさい、先にいうのを忘れていて。ちょっと仕事で人と会う約束があるのでここで失礼
させていただきたいの」
「は、はい、どうぞ」
「ごめんなさい。後ほど連絡しますから」
 といって遙さんは二人きりになってから飲んだ飲み物の伝票を取り上げてレジのほうに歩い
ていってしまった。
 僕は突然の事態について行けず『あっ、僕が払わなければ』と気がついて、彼女のあとを追っ
たが、すでに支払いを済ましたあとだった。
「急ぎますので、失礼」と言って遙さんはさっさとホテルを出ていった。
 僕は遙さんが唐突に帰ってしまった理由について、本当に仕事だったんだろうか? それとも
僕が気に障るようなことを言ったんだろうか? などと考えながら駅に向かった。いくら考えた
って理由などわかりはしないのに、初めから気にいられるとは思っていなかったのに、僕は家に
帰りつくまでうじうじと考え続けていた。結局のところ僕のだした結論は、僕の言ったなにか一
言ではなく、僕が彼女より2歳年上にもかかわらず、おどおどとした態度といい、話題もきりだ
せず常に彼女のほうからきりだすのを待っていたことといい、頼りなくて嫌われても当然だと言
うことだった。
 家に帰ると母はまだ帰っていなかった。
「亜紀さんの帰りは10時ごろになるとさ」
 一人でテレビを見ていた父が言った。
 僕は気が抜けた口調で「そう」と言った。
「偲は早かったが、食事はしなかったのか?」
「うん」
「晩飯にするか」
「そうだね」
「チャーハンでも作ろう」
「あまり食欲がないから少しでいいよ」
 
 言わなくたって僕の態度でわかっているとは思ったが、言わなけりゃいけないし、面と向かっ
ていうのは恥ずかしいから、僕はチャーハンを作っている父の背中に向かって言った。
「この縁談、破談になりそうだよ」
「そうか、またの機会があるさ」
 父がボソッと答えた。

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GIRL BEATS BOY
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