新・第三次性徴世界シリーズ・10
温泉宿の巻・1
笛地静恵
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1・昔むかし
 昔むかし、ある小さな村に、兎と狐と狸が住んでいました。小さな兎は、大きな狐と狸
に、いつもいじめられていました、とさ。

2・特別な一日

 ぼくは、兎です。臆病な性格です。逃げ足だけは、早いのです。耳が大きくて、前歯二
本だけが大きいのです。手足は、間接が目立つぐらいに細かったのです。信平といいます。
 自分の人生の、ある特別な一日について、語るつもりでいます。
 それは、こんな風に昔話として語った方が良いのかもしれません。昔話には、ずいぶん
恐いものがあります。この話にも恐いところがあるからです。
 それでも、物事には順序があります。
 一日は、それだけで存在はできません。今日の前には、昨日があり、今日の後には明日
があります。それで、あの人生を変えた、十二歳の夏休みから語りたいと思います。村で
は、お盆の一週間は、釣りや狩りのような生き物の殺生は、しないという風習がありまし
た。それが過ぎた日でした。
 前日の二十日の朝から、始めることにします。

2・八月二十日 午前六時   

 八月二十日の早朝の時間は、いつもと同じように過ぎていました。
 古い温泉街の上流の村はずれ。そこにぼくの実家がありました。家の裏手の羽衣川で、
虹鮎が釣れました。水中にいる時は、青い色をしているのですが、水面から飛び上がった
時に、光が身体に反射すると虹のような七色に輝くので、この名前がありました。虹鮎の
塩焼きは、この地方の名産品らしいです。
 この魚は、冷たい水を好むのです。旅館から湯の排水が流れこむ下流の岸辺の方には、
いっさい寄り付きません。水が深いので、なんとも表現できないような、深く青い緑色を
している、上流の瀬の方を、すっすっと泳いでいます。
 ぼくは、その朝も、つるつると滑る、苔がついて緑色になった、泥岩の上を裸足で渡っ
ていきました。靴を履いているよりも、バランスが取れるのでした。
朝の光が流れに巻かれて、くるくると水面に回転していました。

 道具は、すべて自分の手作りでした。たとえば、釣り竿といっても、竹薮にいって、長
くて細くて質の良い、竹を選びに選んで、切り取ってきたものです。糸は、おばさんから
もらった、太いミシン糸でした。おもしは、道で偶然に拾った、鋼鉄製の頑丈な黒いネジ
でした。自動車の部品の一部でも、あったのでしょうか。村には、正常に動く信号機が、
一つもない時代でした。全部、壊れたままでした。浮きは、赤く色を塗った木片でした。
 下流の右手の崖の上に、一軒だけ大きな旅館がありました。『天女楼』といいました。新
館のコンクリートの建物が、陽光に白く光っていました。木造の旧館は、その影になって
見えませんでした。ぼくの目には、いつも御殿のように映っていました。隣の村からの魚
などの食材の荷物の運搬用に、村にはたった一台しかない、三輪車のトラックさえも持っ
ているのです。

3・昔むかし 

 この村は、歴史だけは古い土地でした。鎌倉より以前から、地頭職が置かれていたそう
です。かつては、山越えの街道沿いの温泉付きの宿場として、栄えていたのでした。
 武家の女性たちの、湯治の場所でもありました。そちらは「上湯」と呼ばれていました。
「下湯」と呼ばれる庶民のための湯と、厳密に区別されていました。『天女楼』の旧館は、
「上湯」に残った唯一の旧時代からの建物であったのです。ガイア隕石の衝突の大惨事に
も耐えて、生き残ったのです。巨大なコンクリート三階建ての新館は、もちろん新世界の
建築物でした。
 天女温泉は、香具夜温泉という名前で、もっと古くからある温泉場でした。『竹取物語』
の原型となる伝説の、発祥の土地ではないかという学者先生の説もあったようです。そう
いえば、村の周囲の山野には、竹林がずいぶん林立していました。
 春になると、おいしい竹の子が食べられました。村の珍味の一つでした。それを掘って
旅館に持っていくと、お駄賃をもらえるのでした。渓流の虹鮎釣りもしました。透き通っ
た水の中で、透明に見えるまでに、冴々とした青い色をしていました。それを、岩場に仕
掛けた魚篭で取っては、同じように小遣いにするのでした。
 女性の「血の病」に、効能があるということでした。子どもの頃は、この言葉の意味が
よく分かりませんでした。母が、この温泉に浸かると、子どもが授かるのよと、分かりや
すく、教えてくれたことがありました。そうなのかなと、思っていました。

4・昔と今

 道路の大きな変化もありました。全くの僻地と化してしまっていました。女性用の巨大
な車でも山を簡単に越えられる、大きな二車線の舗装道路が、温泉街とはちょうど反対側
になる、山腹に通ったからです。天女温泉に向かう道は、いつまでも「旧世界」の道路で
した。女性用の自動車では、一台がようやく通れるという幅しかありませんでした。
 二勝山(ふたかちやま)の頂上に、日本では珍しい環状列石というストーンサークルが
あります。それだって、苦労して道無き道を、数時間かけて登ってみても、さえない三角
錐型の黒い石が、十個ほど円形に並んでいるだけのことです。
 しかし、最近、UFOが日本では何回目かの、にぎやかなブームになっていました。ガ
イア隕石が、地球に衝突した直後の数年間は、空飛ぶ円盤の目撃事件が全世界で、たくさ
んありました。闇姫山の頂上に、その内の一機が着陸したのです。ぼくの母も少女時代に、
それを目撃した一人でした。
 目撃談は、全国に分布していても、本当に円盤が着陸したという場所は、日本では、こ
こだけだったようです。
 新東京のテレビ局の人が、取材に来たことがありました。UFOの着陸した跡だと、騒
がれていたのです。重いテレビカメラや器材を担いだりした女の人たちが、何人か細い急
峻な山道を大股に登っていきました。小学生の子どもたち六人全員も、一緒に登っていき
ました。
 ぼくの母は、目撃者の一人として、インタヴューを受けていました。万梨阿と多佳子の
母親たちもいました。みんな旧友であったのです。
 ぼくが、石の影から覗こうとすると、メガフォンを口に当てた、野球帽をかぶった若い
サングラスの女性に、大声で叱られていました。
 その苦心の撮影になる映像が、放送されてからのことです。天女温泉の客が徐々に増え
ていったのです。ぼくが三助をしている映像が、全国に流れました。それが、可愛いとい
う、思わぬ評判を取っていたのです。
 秋になると羽衣川の水面から、冷たい山の空気に触れて、朝と晩は白い靄が立ち上りま
す。大水の時には、雷のような轟音を立てて、山からごろごろと流れ下ってくる大きな石
があります。それらが、石の巨人のように、あちこちに立っていました。奇岩怪石の名勝
地でもありました。

                 *

 「旧世界」では、「下湯」の温泉の宿屋は、この流れに沿って、下流に向かって、右側に
林立していました。左側は急な岩場で、建物を作ることが、出来なかったのです。しかし、
そのすべては、ガイア隕石の衝突による地盤の崩落によって、壊滅していました。いまで
も、コンクリートの山が、手付かずで放置されている廃墟のままでした。幽霊が出るとい
う噂がありました。母も雨の降る深夜に、青白い人魂が飛ぶのを、目撃したことがあるそ
うです。
 全部、取り壊して駐車場にする計画がありました。が、その費用がどこからも出ません
でした。「上湯」の『天女楼』だけが、唯一、村の産業でした。一軒の儲けだけでは、無理
だったようです。この案件が、ようやく解決するのは、ぼくたちの世代が、大人になって
からのことでした。
 母の仕事も、それなりにありました。少なくとも、親子二人で喰うことには、困りませ
んでした。母親が、貧乏であることを息子に感じさせないように、細やかな配慮をしてく
れていたのです。湯治の客からもらった、お菓子や食べ物は、いつも紙に包んで、お土産
に持ってきてくれました。それが楽しみで、眠い目を擦りながら、夜おそくまで、母の帰
りを待って、起きていたものです。母からは、白粉のよい薫りがしていました。

7・七月八日 深夜

 釣りの道具のなかでも大事な針は、母の裁縫箱から、くすねてきたものです。
 その年の七夕の翌日の晩に、母は、針仕事をしていました。針が一本ないことに気が付
いたのです。そういうことには細かい母は、真夜中なのに、大騒ぎして探していました。
ぼくは、一枚しかない薄い布団に包まって、寝た振りをしていました。
 しかし、心配した母に、「信ちゃん知らないかしら」と肩を揺すぶられて起こされてしま
いました。「畳の間にでも入って、足の裏に刺さるといけないから」と言うのです。疲れて
蒼い顔をしています。見つからない内は、床にも付かないでしょう。母は、意志の強い人
でしたから。明日も、早くから仕事があるのです。母の身体が心配でした。
 ついに、白状してしまいました。ばれて、ひどく叱られました。心配しているのに、そ
の態度は、何だというのです。
 嘘つきに、育てたつもりはありませんよ。嘘つきは、うちの子ではありませんよ。
 大きな母が、眦を吊り上げて顔を真っ赤にして怒ると、それなりに、迫力がありました。
 ぼくは、いつも小さくなっていました。
 その後は、パンツをおろされて、母のたくましい膝の上で、平手で何回もぶたれました。
暴れましたが、許してくれません。
 大柄な母の力は、子どものぼくよりも、はるかに強いのでした。左手を、軽く背中に乗
せられているだけなのに。それが岩のように重くて。虹鮎のように背中をしならせて暴れ
ても、身動きが取れませんでした。
 水仕事に荒れた大きなざらついた手に、お尻をぶたれていました。もう二度としません
と、お約束をさせられていました。
 お尻を真っ赤に腫らしていました。痛くて仰向けにもできません。俯せになっていまし
た。母は向こうを向いています。白地に青い模様の浴衣の背中が、拒否を表していました。
黒髪の頭の後しか、見えませんでした。
 泣きながら寝たのを、思い出します。

8・八月二十日 午前六時半

 八月二十日のことを思い出すと、なぜかあの夜の母の折檻も、一緒に思い出すのです。
ともかく、その大事な針に、糸蚯蚓などを付けて放ります。針だけは、絶対に、魚に取ら
れないように、しなければなりません。
 きつく玉が出来るまで、糸に何重にもして、結んであります。本当は結び目が小さくて
軽い方が、針へのあたりが、糸に直接に伝わってくるのです。
 が、仕方がありませんでした。
 ぽちゃん。
 すっ。
 水面は緑の雲のように、絶対に同じ模様にならないです。渦を巻いて、ぐるぐると流れ
ています。その深い淵に、沈んでいきます。餌と針が、流れの水の強さに引かれています。
まっすぐに延びて、ぼくよりも少し下流の方の水に、突きささっています。
 やがて、辺りが来ます。赤い浮きが生き物のように動きます。
 ぐん。
 手のひらに感じる、あの感触が大好きでした。そのために、釣りをしていたようなもの
でした。
 山の精気を受けた元気な虹鮎の、命の舞踏なのです。それを、泳がせたり、引き寄せた
りしています。だましだまし、だんだんと自分の手元に寄せていきました。
 川底の浅い岩場に、誘い込んでいきます。一気に、勝負を掛けます。竹竿の弾力も使っ
て、魚を水から引き抜きます。
 一匹の虹鮎が、尾で水面を叩きながら跳ねていました。跳躍しながらも魚は、怒ったよ
うに口からぴゅぴゅっと、水を吐いていました。
 棒の先には、針金で輪を作っていました。旅館の『天女楼』という名前の入った手ぬぐ
いから、母が器用に縫ってくれたものです。最高の袋を、作ってくれていました。そこに、
誘い込んでいきます。羽衣川は、水がきれいで、餌も豊富にいましたので、短時間に、何
匹も釣れました。
 網に入れたままで、旅館の裏口から台所に持って行きます。板前のおじさんか調理のお
ばさんが、買ってくれるのでした。しかし、商売は、まず一匹食べて、自分の腹ごしらえ
をしてからです。
 そのころのぼくは、小柄なのに大食いで、いつも腹を減らしていました。朝飯を済ませ
たばかりなのに。ぼくなりの成長期に、入りかけていたのです。
 岸辺の砂利があるところに座りました。あらかじめ、乾燥して白い骨のようになった流
木を、岩陰に集めてあります。
 ぼくの宝物であった、緑のレンズをポケットから取り出します、元は、ビール瓶の底だ
ったのだと思います。波に洗われて、砂に揉まれている内に、このような形になったので
した。奇跡的に、割れなかったのです。
 その年の四月に、川岸の砂のなかに、埋まっていたのを発見しました。何かが足元で光
ったのです。掘り出すと、このレンズでした。透かすと、見慣れた旅館も、緑の魔法の宮
殿のように見えました。
 山国でも、昼までは太陽の光も強いのです。枯れた竹の葉に集めます。光の点を、出来
るかぎり小さく、まばゆくします。焦点を作ります。ぼっと火が付きます。大事に育てて
いきます。次第に大きくしてやります。
 流木に引火させて、焚火にします。じわじわと火照りだけで、焼いていきました。その
方が、身に脂が残っておいしいのです。直火だとぱさぱさになってしまいます。口の中に、
唾が溜まってきても、じっと我慢します。
 魚の腸を取らずに、そのままで串焼きにします。塩がないのです。貴重品でした。苦み
があった方が、おいしいような気がしました。鼻をすんすんとならしていました。いい匂
いがしてきました。
 頭から、かぶりついていきました。
 脇には、汚れたズック靴の中に、丸めた靴下を、無造作に突っ込んでありました。

9・七月中旬

 要するに、山里の子どもの生活でした。
 隣村までは、山を越えるのに大人の足でも、たっぷり一時間は、かかる場所にありまし
た。子どもだと二時間以上の行程でした。
 村はずれの小さな家に、ぼくは旅館の女中をしている母と、二人きりで住んでいました。
物心ついた時には、父の姿はありませんでした。どこかに、男を作って逃げていったとい
う話を、何度も寝物語のようにして、母の口から耳にしていました。
 忙しい母に代わって、ぼくが、家の中の食事や洗濯を全部していました。
 この村の温泉は、子どもが授かるからというので、有名でした。しかし、ぼくの生まれ
た頃には、どういうわけか、子どもがほとんど生まれなくなっていました。たとえば十二
歳の子どもは、ぼくと『天女楼』の娘の万梨阿の二人だけでした。五百人の人口の村に、
小学生の子どもは、七人しかしませんでした。六年生二人、五年生と二人と、四年生が一
人、二年生が二人。一年生はいませんでした。
 村には小学校がなかったのです。隣村の小学校まで、子どもの足では、片道二時間かか
る山道を毎日、集団登下校していました。

10・狐と狸


 狐と狸について話さなければなりません。
 もちろん本当は、二人の女の子です。
 班長は万梨阿でした。少し狐を連想させる、つんとした顔をしていました。でも、美少
女でした。この子は、年ごろになると、もっときれいになるとみんなに言われていました。
髪は耳を隠すぐらいの短いものでした。
 うるさいのです。小学校の四年生の多佳子と、女二人で、力任せで他の男の子たちを従
えるのです。ぼくは、万梨阿と多佳子がだいっきらいでした。
 だいたい、身体も態度もでかいのです。第三次性徴が、開始されているのではありませ
ん。この村では、昔から男性は小さく、女性は大きいという、生れ付きの身体つきなので
した。水のせいなのでしょうか。
 万梨阿は長身でした。手足がほっそりとして長いのです。運動部で長距離走の練習をし
ていました。たいてい、体操服に紺色のブルマーだけで、手足が剥出しなのが、余計にそ
の印象を強めていました。
 多佳子にしても二つ下の下級生なのに、六年生のぼくよりも、頭一つ分以上は優に大き
いのでした。ほっそりとした万梨阿の比較して、彼女は、むしろぽっちゃり型でした。丸
顔で、密かに万梨阿と並べて狸と呼んでいました。
 女の子らしい可愛らしいフリルのついたドレスを、着ていたりしました。その胸も、顔
と同じように丸く膨らんでいるのが分かりました。
 登校班の班長は、狐の万梨阿でした。副班長は順番からすると、小学校六年生のぼくの
はずなのに。狸の多佳子になっていました。
 万梨阿の、「副班長は、多佳子にお願いするわ」という一言で、新学期早々に四年生の多
佳子になっていました。
 万梨阿は、おとなしい子です。多佳子のように、うるさくはありません。
 ぼそぼそとしか話さないのです。が、みんな『天女楼』のお嬢様の万梨阿様の決定には、
逆らえないのです。新学期の最初の登校の日に、そのように指名されていました。男子は、
いたずらだからというのです。反論も抗議も許されませんでした。
 大きな女子の班長と副班長の間に、五人の小さな男子が、学年の小さな順に並ぶのです。
ぼくの後が、副班長の多佳子になります。
 彼女には、ぼくたち男子は、いつも馬鹿にしたようにして、見下ろされていました。
「馬鹿、信平。列にまっすぐに並びなさい」
 そう命令するのでした。森の中に逃げようとしても、すぐに追い付かれていました。樹
木の茂った森の中ならば、身体の小さいほうが有利なのです。しかし、多佳子は、スポー
ツ万能で足も早く、力が強いのです。スカートから長く延びた脚は日焼けして、狸なのに
そこだけは、しなやかな羚羊のようでした。歩幅が違うのです。いつも山道の端で、追い
付かれていました。凄い指の力で、首根っ子を捕まれて、兎の子のように列に連れ戻され
ます。ただ深い谷底に、石を蹴り込んでやろうとしただけなのに。
 彼女は、この年の春から夏に向かって、身長がぐんぐんと延びていました。それが、嬉
しくてたまらないようでした。三年生の時までは、小さな可愛らしい女の子だったのです。
万梨阿のいないところでは、男子生徒にいじめられて、めそめそと泣いていました。
 それが、大狸になるとともに、急に態度もでかくなったのです。男子には、「いたずらを
やめなさい」とお姉さんのように注意します。それなのに、ぼくの旋毛をふうっと吹いて、
髪を逆立てたりして、遊んだりするのです。文句をいうと、髪に埃が付いていたから、払
ってやったのと、ぬけぬけと嘘を付くのでした。

 ある日には、両手に力瘤を作っていました。以前には、いじめられて泣かされていた小
学校五年生の男の子を、両側に重石のようにぶらさげたままで、のしのしと歩いていまし
た。
 第三次性徴前の、女の子の筋肉の力は、見かけよりも異常に強化されていたのです。「コ
ントラクション」といいました。
 保健体育の時間に習います。だから、男の子と本気になって喧嘩してはいけませんと、
先生が注意していました。全国の小学校では、男子が女子に大怪我をさせられるような事
件が多発していました。熊と喧嘩するようなものなのです。筋肉の質が違うのです。成長
のために、力が内部に「収縮」されて、貯えられているようなものなのです。「コントラク
ション」というのは、一般的には筋肉の「収縮」というような意味でした。
 ミニスカートから延びた、多佳子の羚羊のような脚も、その気になって力をこめると、
脚の筋肉のひとつひとつが、むきっむきっと、盛り上がってくるのです。名前が付けられ
る、筋肉の標本のようでした。手品のような光景でした。小学五年生の上級生の男どもに、
得意そうに触らせていました。万梨阿は、さすがにこんなことはしません。
 そうかと思うと、ふいに、疲れたからおんぶしてと、その大きな身体で、ぼくに抱きつ
いてくるのです。重くてよろよろとしてしまいます。狸を背負った兎の心境でした。
 背中に、多佳子の膨らみかけた丸い二つの胸が、ぷにんぷにんと当たっています。半分、
潰れている感触がしました。ブラジャーぐらい付ければ良いのに。多佳子の体温と、汗の
甘い匂いがしました。ぼくは多佳子が苦手です。弱みを握られているのでした。
 班長として黙々と先頭を歩く万梨阿は、背後を振り向きもしません。
「多佳子、そのくらいにしなさい」
 ぼそっとした声で、注意してくれました。彼女にだけは、さすがの多佳子も、頭が上が
らないのです。ぱっと、離れてくれました。
 ぼくは、先頭をいく、万梨阿の雌狐のように、ほっそりと長い後姿の中で、そこだけが、
大きな紺色のブルマーのお尻が、左右に物憂げに重たく揺れる光景だけを、見つめていま
した。素材はナイロンのようでした・ポリエステルのように光沢はありませんが、伸縮性
があって皺がなく尻の曲面にフィットしていました。感謝の言葉を、述べるつもりはあり
ませんでした。班員のいたずらを注意するのは、班長の当然の責任でしたから。
 兎の一学期の登下校の時間は、狐と狸の間で地獄でした。夏休みになって、あの屈辱的
な責め苦の数時間がなくなったというだけで、せいせいとした気分になっていました。
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